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執筆者の写真Naoko Moller

色あせた昔がよみがえる


シアトルへ引っ越す娘について、シアトルで数週間過ごしています。今年は各地で異常気象、(今年もかな)、雪が降っても積もることないシアトルは雪がよく降りました。


私の知っている、新潟魚沼の春の雪のような感じです。



おかげで、家の中で「巣ごもり」する時間が多く、体は鈍るものの、頭は冴えて、いろんなことを考え、思い出しています。


それはこの雪のせいではないかと…。





ハワイで育ち、中三が終わろうとしている春に日本に帰国した三月、まさにこのような天気でした。


まだ、学校は始まらず、旧友との付き合いもまだ復活していない時期。


雪はまだ高く壁になっていしたが、晴れると舗装されている道は乾き、濡れずに歩くことができるようになります。


晴れていて、窓ガラス越しのお日様は暖かいですが、雪の上をさらってくる風はまだ冷たい時期です。



実家のお寺の参道を出て、門前を乾いている箇所を選び、散歩するのが好きでした。

村の北側に、お寺に出入りしているおばさんの家があります。


渡辺さんのおばさんは一人で、小さな家に住んでいました。当時の田舎の人には大柄で、顔も体もまん丸。お寺に来る時には大きなえんじ色のマントを羽織って、薄緑の長靴姿です。よく覚えています。


渡辺さんの家は道端に面していたので、留守かどうかちょっとみるとわかります。


時々、遊びに行くと、「直子ちゃん、お茶飲んでいかんかい」と言って、冷たいたくあんとお茶をだしてくれるのが常でした。


三月の春の日差しが気持ち良い頃、思い出すのは、もう一人のお茶飲み友達のおばあちゃん。中豊のばあちゃんです。


当時はおばあちゃんではありませんでした。私と年齢が一つしか変らない娘さんがいるからです。でも、私がこの家に行くのは、中豊のばあちゃんが目当てでした。


「こんにちわ」と言いながら玄関にさっさとはいる。茶の間は暖かく、いつもお茶とお茶菓子がでています。「今、おちゃいれよ」と言いながら、掘りごたつの灰を掘り上げ、灰の中の赤くなった豆炭を少しいじります。こうして、こたつはさらに暖かになるのです。


石油ストーブの上でお湯がちんちんわいている茶の間で、こたつに足をいれ、お茶を飲み、おしゃべりをし、つきっぱなしのテレビをみる。お昼になれば、お蕎麦をゆでてくれたり、おにぎりを作ってくれたり。この、だらだらとした感じが憧れでした。楽しかったのです。


食事とお茶の時間と、きちんと時間が決まったお寺の生活ではないことです。


雪が止んで青空がでてきたころ、そんなことを考えながら、よもぎ団子をつくりました。


中豊のばあちゃんが、春になると、よもぎをたくさん摘んできて、重曹をいれて茹でて、

団子粉に入れ、こね鉢でこねて、蒸して。。。と作ってくれる草餅(と新潟では言いました)の美味しいこと。


手間暇かけたこしあんが入っている草餅。噛むと草の繊維が見えます。風味豊かで、綺麗な緑色で、よもぎのほろ苦い味が中のあんこと混ざって美味しいのです。中豊のばあちゃんの草餅ほど美味しいものはありません。




シアトルで、乾燥よもぎをハーブ屋さんで見つけ、韓国スーパーで餅粉をみつけ、小豆も買いました。

時は流れ、場所は変わっても、あの中豊のばあちゃんの草餅の味は忘れません。




あの草餅とはちょっと違うけれど、甘く煮た小豆によもぎ団子、美味しくいただきました。


遠い昔の思い出が、時間と共に色あせていた思い出が、蘇ってきました。










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